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オープンすぎる葛西スペース

葛西スペースはレンタルスペースであるので、誰かが使っていないとシャッターが降りたままの箱になってしまいます。私は岐阜に住んでいて、いつもここには居られないのです。だから東京にいられる間はなるべく葛西スペースにいて、店のシャッターを開けるようにしています。電気をつけて中で仕事をしていると、通り過ぎる方々が葛西スペースをちょっと覗き見していかれます。

改装のプランを出し合っていたとき、私はずっと「ここは絶対大きなガラスにしましょう!」と主張し続けていました。道路に面した建物の入り口は、以前は1枚の小さな扉だったのが、4枚の大きなガラス戸にし全開できるようになりました。

そうしたのには訳がありました。

私は英語を話し、外国に行く機会を何度か得ました。海外で一番大変だったことは、自分の気持ちを常に強く発していないと流されてしまうということでした。ある文化圏では、レジにきちんと並ぶということをしないから、日本のようにお行儀良く大人しくしていると、いつまでたっても買い物ができません!いつも気を張って自己主張をしなければならないことに、とても疲れてしまいました。(もちろん、どちらが優れていて、どっちのほうが良い、ということではなく、それぞれの良さや必要性があるのです。)

私は建築には詳しくないけれど、そうした精神感は建物にも現れていると何かの本で読みました。ヨーロッパの建築物は石やレンガで作られ、日本の昔の建物は木や紙でできていました。前者ではの重厚な建物の中や隣の部屋で何が起きているか分かりにくく、個人やプライベートを大切にしています。逆に、日本の障子や襖(ふすま)は、完全な遮断ではなく、隣の部屋の人が何をしているのか、影や音で何となく察することができます。私はその「なんとなく察する」文化がとても美しいと思うのです(注意しておくと「きちんと自分の欲求を伝えず、察してくれない!と相手を非難する」のは共感できませんけれども…)

日本の社会は西欧化されて、建物の「なかと外」が、くっきり区切られるようになりました。でも家から一歩外に出た社会は「みんなのもの」です。困っている人がいたらやっぱり助けてあげられないかと思うし、幸せそうな人を見たら、やっぱり私も幸せになります。

葛西スペースの前を通りかかった60代くらいの紳士が、

「ちょっと…ここは、オープンすぎるんじゃないか?」と、仰いました。

オープンすぎるにはこのような訳がありました。できるだけ、葛西スペースの「なかと外」の隔たりをなくしたかったのです。英語でおしゃべりをする「Chat with Bruce!」や、「kasai♡マルシェ」は、葛西スペースを通りかかった素敵な葛西住民の方が開催してくださったイベントです。また以前、会議室として利用してくださった方が「社内でやるよりも、社員の皆の背筋が伸びていた。」と仰っていました。

オープンすぎる葛西スペース、ぜひお使いください。

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